人はなぜ変われるのか?私の変化ストーリーその3

こんにちは。

 

私の変化ストーリーの続きとなります。

 

「心」というものがわかれば、人の苦しみの原因がわかり、問題解決できるのではと思った私は大学で心理学を学ぼうと思い、進学します。

 

しかし、学べば学ぶほど、気づいてしまったのです。

心の仕組みを理論的に解明するはずの心理学でさえ、「心」というものが一体何なのか定義することができないのだと。

 

人間の行動を観察する、人間の認知活動を観察する、社会の中で行動する個人の意識や行動を研究する…結果を観察し、そこから心の仕組みの外枠をつかんでいくというアプローチですが、では「心」が何か、そして「心の仕組み」が何か、についての明確な答えには出会えない。

 

また、心に悩みや問題を抱えた人を見ていくと、最終的には、幼いころの家庭環境や養育環境に突き当たります。では、その環境で育った人がすべて問題を持つかというと、そういうわけではない。また、環境が悪かったと片づけることにも違和感が残ってしまい、勉強すればするほど、心の世界が複雑化し、根本的な問題からどんどん遠のいていくように感じられました。

 

問題を解決したいと、研究や活動を続けている先生や素晴らしい方々に会っても、やはり心理学において最も需要な「心」についての答えを持つ人には会うことができない現実。

それでも何とかしたい、自分自身も、そして悩める人々も手助けをしたい、実際に乳児院などの施設で泊まり込みのアルバイトをしたりもしました。その施設では、家庭環境や貧困、障害、人種など様々な問題を抱えたこどもたちと出会い、子どもたちが抱えている現実に直面しましたが、私にはその問題を解決できるものを持っていないし、自分のことさえ、まったく救えていない。

 

現象に対してのアプローチは限界なんだ!と思い、スピリチュアルや東洋思想なども学んでみましたが、それでもやはり自分にとって明確な答えには出会うことができませんでした。

 

自分なりにあちらこちらと追求してはみたけれど、自分が知りたかった「心」とは何か、そして人の苦しみの原因は何かはわかりません。

もしかするとその答えはいくら勉強したところで誰も知らないのではないか、と20歳そこそこの年齢だった私は生意気にも思ってしまいました。

 

だれも知らないんだから、勉強なんかしたって意味がない!

そう思った私は、さらに極端な道へ突っ走っていきます。

 

つづく。。